20数年来の想いがやっと実現できた。山口県周南市大津島へ行った。
ここは太平洋戦争の終わる少し前に、日本国の敗戦が濃くなったころ「人間魚雷 回天」の基地をおいたところ。島の小高い海を臨める場所に回天記念館はたっている。静かだった。
私は恥ずかしながらこの基地や「回天」という人間を乗せた片道切符の魚雷の存在を戦後50年まで知らなかった。
朝日新聞の戦後50年の特集記事ではじめて知って涙した。ある若き兵士が親に宛てた遺書が紹介されていた。
私はその遺書を見たいとずっと思っていた。残念ながら今回訪れた記念館にその遺書はなかった。
「悪鬼羅刹」という文字が力強く書かれていたそうだ。
確か、自分は悪鬼羅刹となって・・というような文言が紹介されていた。
悪鬼羅刹とは恐ろしい魔物のたとえだそうで、多分この若い兵士は回天に搭乗し自分が魔物と化して敵に攻撃をしていくといった覚悟の気持だったに違いないと想像する。
この基地で訓練を受けた若者は、東大、京大などに在学中の優秀な20歳前後の人たちが多く、彼らの親に宛てた遺書は実に悲しくて思い出しても涙が出てしまう。しかも、皆、綺麗な字なのだ。
私は今字を書かない、というかパソコン頼みとなってしまって書けなくなっている。恥ずかしいね。
今回の旅は心に残っていく旅となった。チャラチャラしていてはいけないと思う。あとが少なくなった人生を精一杯過ごさねば。
徳山港から船で馬島港へ
潜水艦、回天が待つ港へ通じるトンネル。トロッコの線路があったそうだ。薄暗くて物悲しい。兵士たちは何を思ってトロッコに揺られていたのだろうか。
長いトンネルを抜けると海が開け、潜水艦の待つ回天発射基地へと。
ここで兵士たちは潜水艦の上に装着された回天へと乗り込む。底知れぬ冷たさを感じた。
この近くで数人のおじ様たちが釣りを楽しんでいた。複雑な気持ち。平和だ。
いつも感じること。今の平和は戦争を戦ってくれた多くの先人たちの犠牲の上に成り立っている。
初虹や 特攻基地の 静かなり・・・(才能なし?)
虹は出ていませんでしたが、本当に静かでした。